• 一本の糸
  • 文・一番化戦略ライティング 吉田順一

「寺坂さんのところ、大変なことになったよね。」2017年8月。富良野から東におよそ120kmの距離にある北海道帯広市では、寺坂農園の事件被害の投稿を見た二人の人物が、そんな会話を交わしていた。
一人は地元企業の経営者、もう一人は農業専門のコンサルタントだった。

帯広市は総面積3,600k㎡ほどの広大な十勝平野のほぼ中心に位置し、北海道の中でも大規模な畑作農業が行われる地域の一つでもある。ちょうど1年前、2016年の夏には台風10号の上陸による自然災害にも見舞われ、全国的なニュースにも取り上げられた。被害総額はおよそ2786億円。十勝川の堤防決壊により多くの家屋や農地が浸水し、収穫期を控えたとうもろこしや大豆、じゃがいもなど14品目もの農作物が収穫できない状況に陥った。

農業に関わる仕事を生業とする二人にとって、寺坂農園が公表した事件被害の深刻さは他人事とは思えないほどの衝撃を受けるものだった。

「何とかしたいよね」
同じ気持ちを抱いた経営者と農業コンサルタントは、具体的な支援の方法を思案し、実現に向けて話し合いを始めた。「私、寺坂さん本人を知ってますから、連絡を取ってみますよ」
話し合いの最後に、コンサルタントはそう答えた。

「こういう時のためのMakuake(マクアケ)じゃないの?」
同じころ、富良野から南におよそ1,250kmの位置にある東京都渋谷区では、友人からそう言われた一人の女性がいた。女性はMakuake(マクアケ)というクラウドファウンディングを運営する会社に勤務していた。友人はSNSのシェアによって寺坂農園に起きた事件をその女性に伝え、クラウドファウンディングに関わる人間として支援できないのか?との思いをぶつけてきたのだった。そのストレートな問い掛けは女性の心に深く突き刺さり、事件をその記憶の中に刻みつけた。

ツイッターで3万件以上、フェイスブックでも1万件を超えるシェアで伝えられた『メロン畑除草剤散布事件』の投稿は、ネタとして騒ぎ立てる人間もいる一方で、地域や職業を超え、「なんとか支援したい」と思う人間の数も確実に増やしていった。だが、支援の気持ちを持つ側の多くは、共通のジレンマも抱えていた。

どう支援すればよいか、支援の仕方が分からないというジレンマである。

『義援金を送りたいです。どんな方法がありますか?』
『援助したいのですが、どうすればいいですか?』

寺坂農園のSNSには、そんなコメントも数多く書き込まれた。その思いを寺坂農園に直接問い合わせる人間も現れたが、事件の公表直後は農園自体がその対応に追われてしまっていた。支援の申し出の多くに具体的な回答を返すまでには至らないまま時が過ぎ、気がつけば事件発生より3か月が経とうとしていた。

秋の収穫期が終わり、農園にも平穏さが訪れ始めていた頃、事務所の一室では寺坂さんが暗澹とした気持ちで頭を抱えていた。見つめる書類には顧問税理士とともに確認した、2017年度における寺坂農園の予測決算の数値が記載されていた。

除草剤散布の被害により出荷できなかったメロン6,600玉の売上ロス、約1,500万円。
加えて事件により発生した被害額が約947万円。

被害を受けたメロンのハウス6棟分の生産原価のほか、事件後に強化した防犯設備への費用、スタッフの夜間見廻りに対する人件費、事件被害の対応にかさみ続けた犯罪対策費などが被害額として計上された。年度分の生産原価と販売管理費を支払い、翌年のメロン生産に必要な経費を踏まえ試算した結果、2017年度は赤字が確定的となった。その上、被害総額の影響で資金繰りが大幅に悪化し、このままでは2018年5月の時点で資金不足に陥ってしまうことが判明した。

「11月に予測決算が出た時点で、どうしようもない状況だというのは分かっていました。仮に1年で200万円ずつ損失を取り戻したとしても、事件前の原状回復までにはどう考えても5~6年かかる。1,000万円近い損害で、それが全て事件被害。気持ちも落ちますよね。もう落ちようがないくらい!谷、谷、谷の連続です」

自然と生き物が相手の農業。地道に個人の見込み客を開拓していく直販や通販という事業。寺坂農園が築き上げてきた事業形態では、被害額をすぐ解消させるほどの大幅な生産増や売上増が不可能なことは考えるまでもなかった。事件の影響が再び寺坂農園の前に立ちはだかり、その将来に重くのし掛かろうとしていた。

付き合いのあった農業コンサルタントからメールが届いたのは、その予測決算が出た直後だった。メールを開いた寺坂さんは、思わぬ提案に驚いた。

「信用金庫さんも、寺坂農園さんのメロン除草剤散布事件の件を気にかけています。クラウドファンディングを使った経営支援もしているので、一度お話を聞いてみませんか? 経営再建を応援します」

帯広で一人の経営者とともに支援を思い立ったコンサルタントが提案してきたのは地元の帯広信用金庫を通じた、クラウドファウンディングという資金調達法だった。

クラウドファウンディングは、Crowd(群衆)とFunding(資金調達)を組み合わせたその言葉通り、一つのプロジェクトに対して不特定多数の人間から資金を募る資金調達法である。400年以上前、ヨーロッパに誕生した印刷業とともに始まったとも言われ、その後はアメリカで発達した手法だ。2000年代にはインターネットの発達とともに情報収集や情報拡散のスピードが格段に上がり、資金調達者と出資者をダイレクトに結びつけることが可能となったことで、急速に世界中へと普及していった。

現在は日本国内においても起業資金、商品開発の研究費の調達からNPO法人などの団体の活動費、学校の設立などの社会貢献活動の支援まで、様々な目的で行われている。

金融機関よりも審査のハードルが低く、集まった資金が融資されるまでの時間も短いため、必要な時期を逃さずに資金を調達できるのが最大のメリットだ。寺坂農園が今回陥った経営危機の回避にも役立つ可能性が高い。

アイデアはすぐに固まっていたものの、そのコンサルタントが寺坂さんに連絡を入れたのは、事件被害が公表された時より3か月ほど時を経てからだった。
『今はまだ大変だろうから、落ち着いた頃に連絡しよう』
そう思い、伝えるタイミングを伺っていたと打ち明けられた。

連絡を受けるまで、寺坂さんには考えもしない方法だった。
「農家に生まれ後継ぎの長男として育つ中で、『日々起きる問題は全て自己解決』という教育を受けてきました。そのためか、クラウドファウンディングのことは以前にも耳にしたことはありましたが、自分はそれが関わるような仕事はしたくないとすら思っていて、詳しくは知りませんでした」

耳を傾けさせたのは、事件の公表直後から数多く寄せられた応援のコメントやメッセージの影響だった。

「応援メッセージには『クラウドやってください!』という声が30件ぐらいあったんです。事件公表してからしばらく経っても、『支援したいけど、支援の仕方が分からない』という声も多数ありました」

話だけ聞いてみよう。連絡を受け、寺坂さんの中に変化が生まれ始めていた。『なるべくなら自分の力で解決したい』と思いはある。だが、他に選択肢も無い。自分から積極的にとまでは思わないまでも、これだけ多くの支援を申し出る声があるなら、一度話を聞く価値はあるかもしれない。寺坂さんは、さっそく詳しい説明を聞くために連絡をくれたコンサルタントへ返信を返した。

「試しに話を聞いてみたら、ありだ!と思いました。そもそも今回の事件被害は自分達の力が及ばない外的な要因が理由です。そして助けたいと思う人たちがこれほど多くいる。だったら助けてもらおう!そう思ったんです」

無論、不安もあった。徐々に沈静化していたとはいえ、事件の対応に追われ続けた先日までの日々も脳裏をよぎった。今度は事件をきっかけに支援を求めるクラウドファウンディングを行なうとなれば、きっと様々な反響も生まれるだろう。特に自営自立が当たり前の農業関係者からは、厳しい批判の声も上がるに違いない。

だが、迷っている状況ではなかった。

「今回の状況は、『自作自演だ』という声すらあった。だからクラウドファウンディングを行なうことに批判の声もあるだろう、それも覚悟の上でした。私の役割は経営者。従業員とその家族を守る責任があります。だったら、手段としてはありだ!と判断したんです」

農業コンサルタントは窓口となる帯広信用金庫を紹介してくれた。そこからクラウドファウンディングの運営事業を行なう東京の企業と繋がった。その企業が手掛けるクラウドファウンディングの名は、Makuake(マクアケ)という名だった。

まさか、今になって来るなんて。それも自分の担当案件として。

渋谷にあるオフィスで、その女性担当者は内心、驚きを隠せなかった。三か月前に友人から投げかけられた言葉が記憶から蘇ってきた。その時に見た、除草剤を散布されたメロン畑の画像。それが自社の取引先から紹介された案件という形で、再び目の前に現れたのだ。

だが、女性担当者はその思いを当事者たちに伏せたまま、自らの業務に没頭した。
クラウドファウンディング開始にこぎつけるまでにも、成すべきことは山のようにあった。
そして、今回の案件にともなう目標達成への困難さも気づき始めていたからだった。

Makuake(マクアケ)は、アメブロやameba TVなどを展開する株式会社サイバーエージェントを株主に持つ、株式会社マクアケが運営するクラウドファウンディングサービスだ。2011年に発生した東日本大震災への支援をきっかけに日本にも定着し始めたクラウドファウンディング。そのポテンシャルを慈善事業の寄付だけにとどまらせず、モノづくりや起業、新しいサービスの開発といった事業開発の支援に活用することを目的として設立された。「新しいビジネスの幕開け」がその名称の由来である。

そのため、Makuake(マクアケ)のHPに掲載されるプロジェクトの内容も様々だ。

『【会員制】酸味×モダンガストロノミー赤坂の隠れ家レストラン&バー「sanmi」』
『自分だけの音を見つける。 finalが提案する新しいイヤホンの在り方”Make”』
『エヴァンゲリオンレーシング2018 鈴鹿10時間&富士24時間参戦!!!』

実績に定評があるレストラン事業やテクノロジーの分野に加え、ファッション、地域活性化から音楽、お笑いといったエンターテイメントの分野まで、手掛ける分野は日本国内でも最大規模となる。2017年には、劇場用アニメ映画『この世界の片隅に』の公開プロジェクトを実現し、『スマートな折り畳み式電動ハイブリッドバイクglafit』の量産体制構築に向けたプロジェクトでは1億718万円の資金調達に成功させ、国内のクラウドファウンディングにおける最高記録を樹立させた。

現在、クラウドファインディングは目的別に4つのタイプに分類される。
出資金額に応じて品物や体験をリターンとして受け取る『購入型』、事業に必要な資金を借り入れ、金融機関より高い金利で返済する『貸付型』、リターンを一切受け取らない『寄付型』、未上場の企業が出資者にリターンとして金額に応じた株式を付与する『株式型』だ。

この中で、Makuake(マクアケ)は『購入型』に当たる。会員数3000万人を超えるAmebaとの連携による告知力やコミュニティ運営力、強化されたスマートファン対応、多様な決済手段などサイバーエージェントグループが持つノウハウをフルに活用できるのが強みである一方、その案件の多くはテストマーケティングを兼ねた新たな商品開発や事業創出を目的としている。

寺坂農園が必要としているのは、犯罪被害からの回復を目的とした経営支援だった。
『寄付型』ではなく『購入型』の自社サービスで、どう具体化するか。資金調達は、どの程度の規模を目標とするか。インターネットを活用した資金調達を熟知しているMakuake(マクアケ)の担当者にとっても、この案件は未知数の要素が多すぎた。

一つだけ、はっきりしていたことがあった。寺坂農園の経営回復に向けて、残された時間は決して多くは無いということだ。農園が資金不足に陥るまで残された期間は、すでに半年を切っていた。

思いを秘めたまま、寺坂農園とMakuake(マクアケ)の間でクラウドファウンディング開始に向けたやり取りが始まった。手始めに、資金調達を希望する寺坂農園が運営会社に新しいプロジェクトとしてエントリーし、その目的や内容を提出して審査を受ける。

審査を通過すれば、Makuakeのサイト上に支援を公募するためのプロジェクトページが作成される。掲載料は無料だが、プロジェクトが成功した場合は集まった支援総額の中から一定の割合で運営会社への手数料が支払われる形となる。

プロジェクトの詳細を専用のエントリーシートに記載するため、事件の経緯と現在の経営状態をまとめ直す。経営に必要な資金とその内訳を算出し、支援の目標金額を設定する。審査を通過した場合のプロジェクトページの掲載内容、そのページで支援を募るためにどのように拡散していくかも、並行して詰めていかなくてはならない。

また、支援の金額枠と枠数、支援者へのリターンをどうするかも重要だった。
・自社農園で来年度に栽培する予定のメロン、トウモロコシや野菜などの農作物
・農園の作物を原料とする自社製ドレッシング
・「支援はしたいけど返礼はいらない」という声に応えたお礼状やお礼メールの送付
・寺坂農園のオリジナル農作業着の上下セット、オリジナル手ぬぐい
・寺坂農園の見学ツアー参加権といった体験メニュー
・高額な支援に関してはメロンの一株オーナー権、ビニールハウスの命名権

など、支援者からの反応も想定した様々な支援額の枠が、時間の無い中で考案され、設定されていった。

打ち合わせと準備期間の日々は瞬く間に過ぎていった。そして年が明け、寺坂農園の経営支援プロジェクトを目的としたクラウドファウンディングの開始は2018年1月29日と決定した。同時に事件被害で受けた損益の原状回復に向け、支援達成の目標金額も算出された。

・防犯カメラの設置・夜間街頭の増設費用、およそ73万円
・損害となったメロン種・ビニールなど生産資材費、およそ114万円
・来年のメロンの種・生産資材費が同じく114万円
・除草剤の被害にあった6棟分の作業に費やした人件費、およそ755万円
・その6棟分の利益で賄うはずだった、来年6月までにメロン6棟分を生産・販売するための必要な人件費、およそ242万円
・その他、クラウドファンディング実施に関わる諸経費

これら全てを加算した結果、目標金額は1,600万円となった。
それが、今回の犯罪被害で生じた実害を補填し、寺坂農園の経営状態を回復させるために必要とされる資金だった。

目標金額を設定した時、プロジェクト関係者の中からも達成を危ぶむ声が上がったという。Makuake(マクアケ)が創業以降、過去4年で扱ってきたプロジェクトは累計1,000件を超す。その中で1,000万円を越えた案件は80件にも満たなかった。さらに、農業系の案件での1,000万越えは皆無だった。

何の予想もつかないまま、この一歩を踏み出さざるを得ないのか。
目標達成のイメージも掴めないのは、当事者である寺坂さん自身も同じだった。
孤独にも似たそんな心境だった中、思わぬ告白を聞いた。

「それまで粛々と手続きや打ち合わせを進めてくれたMakuake(マクアケ)の女性担当者さんに初めてお会いした時、教えてくれたんです。友達の方からSNSのシェアが廻ってきて、寺坂農園で起きた事件は以前から知っていた、と。『こういう時のためのMakuake(マクアケ)じゃないの?と言われて、ちょっとヘコんでたんです』と。『それから時間が過ぎ、忘れかけた頃に来た!と驚きました』涙を浮かべて、そう話してくれました。」

すべては偶然だった。だが、SNSという仕組みが無ければ、生まれていない偶然だった。
タイミングも紙一重だった。11月の予測決算が出た直後でなければ、自力での経営回復を考えていた寺坂さんは、クラウドファウンディングによる支援の提案に耳を傾けなかったかもしれない。もし事件被害を公表した直後に提案を持ち掛けられたならば、対応に追われて余力が無いと断ったかもしれない。また、そのまま時が過ぎ去っていったならば、Makuake(マクアケ)で働く女性担当者の記憶から事件の投稿は消えていたかもしれない。

『今はまだ大変だろうから、落ち着いたころに連絡しよう』
無言で見守り続けたその優しさが必要な時を育み、偶然を必然へと変えた。
そして、まるで細い糸のような一つの繋がりが生まれた。遠く離れた富良野と帯広と東京を繋ぐ、一本の糸。その糸を事件被害の当事者たちがしっかりと掴んだ時、それは先の見えない奈落の闇に差した一筋の光明となり、今、目の前に現れていたのだ。

なるように、なれ。

プロジェクト開始を目前に控え、感極まって涙する女性担当者を見て、寺坂さんの覚悟も決まった。それは先の見えないまま、短期間に多くの課題を乗り越え開始にこぎつけた、関係者全員の心境でもあった。
だが、この時点では、成功を予感した人間はいなかった。
誰一人として、いなかった。

第5章 新たなる幕開け 最終章 につづく

第一章 真夏の悪夢

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第2章「一億円農家」の経歴と素顔..

 

第3章 炎上と沈黙と