寺坂農園の『幕開け』

         文・一番化戦略ライティング  吉田順一

1.真夏の悪夢 

これは夢だ、夢であってくれ。

そう願いながら、目が覚める。まだ薄暗い夜明け前、時には真夜中に。
2017年の夏、富良野で寺坂農園を経営する寺坂祐一さんはそんな日々の中にいた。
やがて日が昇ると、それが夢ではなく現実に起きたことだと再び思い知らされる。
今日もまた、この悪夢のような現実と、向き合わなくてはならない。

『メロンハウス6棟が全滅しました。離農するかもしれない事態です』
2017年8月3日、事件発覚の一報は寺坂さんが発信したSNSの投稿だった。
富良野にある自社農園のビニールハウス6棟で収穫寸前だったメロン6,600玉が枯れ土壌から除草剤の成分が検出された。明らかに、外部からの侵入者が行なった犯行。
被害総額は、約1500万円にものぼった。

『事件は7月10日に発生していました』
犯行が行なわれた頃の状況を、寺坂さんは刻銘に書き記している。
7月に入り、メロンを生育するビニールハウスの全自動換気装置が誤作動を起こした。
ハウス内がメロンの生育温度をはるかに超える高温となり、一歩間違えば収穫を控えたメロンが全滅してしまう事態だった。

「スタッフの誰かが、設定を間違えたんじゃないのか?」
寺坂さんは、まずそう思ったという。メロンはアフリカまたは中央アジアが原産といわれる作物だ。気候が全く違う北海道で生育するために、寺坂農園ではビニールハウス内の気温に常に注意を払い、室内の最高気温は25〜30度、最低気温も14度以上に保たれるよう、その日の天候に合わせて細かく換気を行なっていた。

 

過去、寺坂さん自身も換気装置の操作ミスでメロンを全滅させてしまった、苦い記憶もある。だからこそ、真っ先に思い浮かんだのは人為的なミスだった。農園のスタッフ全員に厳しい声で注意を促したものの、その後も2~3日に一度の頻度で、ビニールハウス数棟にわたり換気装置の設定が狂っているのが発見された。

「絶対に設定をいじっちゃダメ!メロンはあっという間に全滅するよ!」
発見したスタッフの手で3度ほどメロン全滅の危機を回避したものの、始業時の朝礼では繰り返し寺坂さんが注意を促す状況が続いた。

 そして7月10日の朝、事態は最悪の状況に陥る。
早朝5時半、収穫作業に取り掛かろうとスタッフとともに3人で農園に足を踏み入れると、寺坂さんはまたも目を疑う光景を目にした。

全自動で喚起装置が開閉するはずのビニールハウス、その中の21番ハウスと呼ばれる棟で、換気のための巻き取り開閉装置が動いていなかった。幸いにも、この日の早朝は曇り時々雨の天候だった為、ハウス内の気候は高温にはならず、メロンの全滅も回避されたものの、不可解な思いは消えなかった。

「また温度設定が狂っている…。おかしいね…」
それだけでは無い。ハウス内に給水するための給水栓のうち2か所が開いていた。
中途半端に開いた栓からは、ダラダラと農業用水が流れている。
「あれ?昨日の夜7時に見回りをしたよね。その時、水は出ていなかったのに…」
「なんでだろう……」
「不思議だね……」
疑問が消えないまま早朝の収穫作業を8時ごろ終え、スタッフと共に朝礼を行なった。
朝礼を終えるころ、農園を覆っていた分厚い雲も去り、富良野にもジリジリと暑い夏の日差しが降り注ぎ始めた。またいつもの、夏の農作業の一日が始まろうとしていた。

「25〜32番ハウスが開いていない!」
再び異常事態の連絡が入った。妻・恵里さんからの報告だった。寺坂農園の専務も務める恵理さんは、ビニールハウスの換気の状況をチェックするため農園の見回りを行なっている最中だった。

気温が上がる中でも、開閉されていないハウスがいくつもある!
夏の日差しの下、高温となったハウスの中でメロンが蒸し焼きになっている!
急いで換気をするため、ハウスのサイド部分を開けなくては! 

農園のスタッフ15名ほどが手元の作業を放り出し、ビニールハウスに駆け寄った。
誰かが、叫んだ。
「開閉装置が動かない!電源が落ちている!」
明らかな異常事態。パニックになりそうな気持を必死で抑え、スタッフ全員が汗だくになりながら、ずっしりと重いハウスのビニールを手作業で巻き上げ、開口部を作った。

「ブレーカーが落とされているぞ!」
事態の原因を発見したのは、寺坂さんの父親だった。
電源が回復すると、ゆっくりとサイド部分の開閉装置が動き始めた。

換気装置の設定を狂わされたのは8棟。その中でメロンが蒸し焼き状態に陥ったのは4棟。夏の強い日差しの下で約1時間、収穫寸前のメロンたちはサウナと化したビニールハウスの中に置かれてしまっていた。

すぐにスタッフ総動員でメロンの生育の影響を確認。目立つ症状は、メロンの葉の一部が少ししおれているぐらいだった。
「たぶん、大丈夫そうだ」
「これぐらいの程度なら、何とか収穫まで持っていける!」
メロンは全滅を逃れることができた。誰もが、そうホッと胸をなどおろしている中、寺坂さんの心にある感情が湧き上がり始めた。メロンを守ろうとスタッフたちとともに必死に走りまわりながらも、押さえることのできなかった、ある感情。

「これは、うちのミスじゃない。寺坂農園を潰そうとしているヤツがいる」
それは今まで経験したことのない、恐怖だった。

 7月に入って頻発したビニールハウスの異常事態は、全て外部の侵入者の犯行だった。
すぐに警察に被害届を出し、農園の警備体制も強化した。矢継ぎ早に対策を立てつつも、自分の農園で犯罪行為が起きたという恐怖は、寺坂さん自身の心身をひどく疲弊させた。

 だが、事態は翌日の7月11日に、さらなる悪化をたどる。
蒸し焼きを免れたはずの3棟のハウスで、メロンの葉のしおれ具合がよりひどくなった。
この日の天候も、曇り時々雨。今までの経験からも、メロンがしおれる天候ではない。
次いで、騒動では無事だったハウスのうち3棟でもしおれ始めるメロンが見つかった。
あまりにも不可解な光景に、ひとつの疑念が浮かんだ。だが、寺坂さんは自らすぐにその思いを打ち消した。

馬鹿な。ありえない。そんなことをする人間がいるとは思えない。
農業の生産物は、生産者にとって単なる製品ではない。一年を通じて猛暑や冷気に我が身をさらしながら、懸命に育て上げた我が子にも似た感情を抱く、まさに血と汗の結晶だ。まして北海道の気候の中でメロン栽培を手掛ける困難は、多少なりとも農業を知っている人間なら誰もが分かっている。

いるわけがない、収穫寸前のメロン畑に、除草剤を撒く人間なんて。

 原因を探るべく、すぐに専門機関の力を借りることにした。最初に招聘したのは、農業改良普及センターだった。

「メロンの玉の横肥大期なので樹への負担が強くかかった為の生理傷害ではないでしょうか?一時的な現象だと思われます」
地域で農家の様々な相談を受ける行政機関の専門家が出した結論は、メロンの生育段階における軽微な症状だった。その話を聞いて、農園スタッフの間にほっと安堵の空気が広がったものの、寺坂さんの中で不安は残ったままだった。

 生理障害なら、なぜ曇り空の下でメロンがしおれるのか?それが原因になるなら、来年同じハウスに植えたメロンは再びしおれることになる。もう収穫ができないということだ。もし6棟全てが全滅したら? 考えただけで、気が狂いそうになる。
そうなったら、寺坂農園は倒産だ。

 3日目の7月12日。メロンのしおれの症状は、さらに酷さを増した。
いつもは果実を覆うように青々と生い茂るメロンの葉が、寝た状態のまま回復の兆しが無い。もう、ダメかもしれない。枯れていくメロンの様子を見過ごせず、寺坂さんは農業資材メーカーの営業担当を呼んで、メロン畑を見せた。

「あぁ、きっと除草剤ですね……」
「生理傷害では説明つかない。これは除草剤が効いている症状だ」
「これは酷い、酷すぎる……」

呻くようなその担当者の声は、寺坂さんがありえないと打ち消した疑念が、まぎれもない真実だったことを告げていた。

 きれいに編み目がかかったメロンが、120mも並ぶはずのビニールハウスのメロン畑。
そこではだだ、無数のメロンがゆっくりと枯れていった。葉と茎が枯れると、メロンの玉だけがハウスの中で剥き出しになっていく。

『たとえるなら、高校生まで育てたかわいい子供が目の前でゆっくりと5日間かけて死んでいくような感覚』

延々と続くその光景を見て農園の関係者全員が、子を失う親心のような悲痛さを感じていた。誰しも目を背けたくなる墓場のような悲惨な光景が、被害にあった6棟の中全てに横たわっていた。

「辛かったのが廃棄作業。除草剤を駆けられたメロンが所々から全滅し、毎日枯れていく。
ただ枯れていくだけでも悲しいのに、これが犯罪被害。悔しい、腹立ちがおさまらないですよ。その現場を、20名を越えるスタッフとともに片付ける。事務所の雰囲気も落ち込んでどんどん暗くなるし、まさに生き地獄でした。」

 警察にも再度通報し、今度は科捜研が調査に乗り出した。それとは別に、農園自体も民間の機関に残留農薬検査を依頼。すぐにサンプルを送った。また、警備体制はさらに強化された。生き残ったメロンのビニールハウスは10棟。あと1、2棟同じ被害にあえば、収穫の繁忙期に多くのスタッフを抱える寺坂農園は、倒産から逃れることはできない。

光センサーライトをメロン畑に設置し、監視カメラを農園各所に増設。加えて、連日交代の24時間体制でシフトを組み、見回りや監視体制を強化。もうこれ以上の被害は出すまいと、男性スタッフが中心となり、日中の収穫作業での疲れを押して夜の見回りを続けた。警察も毎晩、巡回にやって来てくれた。

 こうした周囲の協力に感謝しながらも、寺坂さんはやり切れない思いを募らせていった。
事件の対応と収穫作業で疲れた身体を横たえても、なかなか眠ることができない。
朝、目が覚めれば、早朝のメロンの収穫作業に向かわなければならない。
メロン畑に行くと死にゆくメロンたちがあちこちにいる。胸が苦しくなり、吐き気をもよおした。普段の収穫作業では、時おり笑顔がのぞくスタッフ達も口数が少なくなり、農園全体はまるで葬式のような雰囲気だった。そんな朝が、次の日も、また次の日もやって来る。朝、目覚めたくなかった。そんな思いのまま、安らかな眠りが訪れるはずもなかった。眠るために毎晩大量の焼酎をあおり、アルコールの力を借り続けた。

 目覚めたくない朝を幾度も迎えながら、それでも寺坂さんは8月3日の投稿まで事件の発生の事実を一切表に出さなかった。毎日メロンを収穫し続け、『元気なふり』でSNSに農園の様子を投稿し、これまで通りメロンの発送作業を続けた。

7月12日の投稿。「ホワイトアスパラガス畑です!暑い日が続き、グングン伸びてます!」
7月14日の投稿。「メロンの受注体制もMAX! 久しぶりに受注班全員そろいました!」
7月15日の投稿。「今朝の日の出。寺坂農園はメロン祭り!です(笑)」
7月19日の投稿。「第2ピークを乗り越えたどー」
7月21日の投稿。「北海道立農業大学校から視察研修でご来園」

ショックが最も大きかったはずの事件直後でも、投稿はほぼ毎日続けられた。
そこからは、寺坂さんの狙い通り、犯罪の被害にあった痕跡は一切読み取ることができない。投稿された記事の画像の中では、寺坂さんやスタッフたちは笑顔すら浮かべていた。

うかつに話せば警察の捜査、または事件被害への対策に不要な影響が出るだろうという考えもあった。だが、普段通りふるまうことが最も辛い状況の中で、なぜ連日の投稿は続けられたのか? 笑う事すら簡単ではない心境で、なぜ、あえて笑顔を見せようと努めたのか? そこには、寺坂農園と寺坂さん自身の、これまで歩んできた道のりに理由があった。

 

      ●第二章 「一億円農家」の経歴と素顔 につづく