3.炎上と沈黙と
文・1番化戦略ライティング 吉田順一
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フェイスブックの「いいね」28,000件、「シェア」10,923件。
8月3日に事件被害を報告した投稿記事は、瞬く間にSNS上に拡散された。
『事件後1週間ほどは、あまりにも非現実的すぎる出来事で涙すら流れませんでした。今は現実を受け入れやっと泣けるようになりました。辛くて、辛すぎて泣けるようになりました。泣けるようになって少しだけラクになった。宣言します。絶対に負けません』
『この経験から学び、必ず復活してやる! 仲間と一緒にこのやりがいに満ちた楽しい農業をつづけるんだ。それが犯人に対する“最大の報復”だと思っています。除草剤をかけてメロンを枯らせても私たちの心は枯らすことができない』
想像を絶する悪質な犯行と被害状況、事件の経緯が当事者自身の手によって語られる、という衝撃、目にした者の感情を掻き立てずにはいられないそのメッセージは、膨大な数の人間を突き動かした。
投稿直後からSNSのコメント欄には続々と応援のメッセージが書き込まれ、フェイスブック上では「シェアします!」のコメントと共に、この事件被害の理不尽さを周囲に伝えようと、自らのSNSで発信し始めるユーザーが急速な勢いで増え続けた。
その勢いは、まるで枯れ野に放たれた炎だった。炎は瞬く間に燃え広がり、常に事件や話題性を追い続ける類の人間たちの目には、格好のネタとして捉えられた。
まず反応したのは、大手メディアだった。Yahooニュースを始めとする各webニュースサイトがSNS上でシェアが広がるこの投稿に気づき、投稿された8月3日当日から寺坂農園の除草剤散布事件を続々と報じ始めた。
テレビがこれに続いた。投稿翌日の朝には、地元テレビ局のニュース番組でも、寺坂農園のメロン畑の被害状況が番組内で取り上げられた。その報道で使われた画像は、全て寺坂農園のSNSに投稿されたものだった。
次に反応したのは、インターネットの世界に棲む住人たちだった。メジャーな掲示板サイトの2ちゃんねるでは「寺坂農園」が急上昇ワードとなり、他の掲示板サイトもこれに続いた。動画サイトYou tubeでも報道の後に続くかのごとく事件を伝える動画が次々と投稿され、ネット上に乱立する無数のブログでは、ブロガーたちが事件に関する自らの憶測を競うように書き込み始めた。
それは、投稿した寺坂さん自身にとっても、予想だにしなかった展開だった。
今、当時の投稿を読み返すと、その主旨は別の所にあったことが分かる。
第一の目的は、農園の大切な顧客に対しての状況説明だった。被害によりメロンが品不足となること、全滅した品種に関しては欠品のためキャンセル対応になることを詫びながら、何者かに散布された除草剤の成分が調査の結果、自然分解される物であることが判明し、今後出荷される農園の野菜や来年のメロンには全く影響が無いことが説明されていた。
また、農園の同じ地域にある他の農家には同じ被害に合わないよう注意と警戒を促し、農園のスタッフと家族には、共に苦しい時期を乗り越えてくれた感謝と決意が、そして事件の犯人に対してという形で、この状況から必ず立ち直るという宣言が書かれている。
投稿者にとっては、あくまで農園に関わる関係者に向けたメッセージだった。
投稿の最後には『【メロン6棟全滅事件:おわり】』という言葉をあえて書き込み、事件のことはこれで最後、と区切りを付けたはずだった。
だが、そうはなからなった。投稿者=事件被害者というインパクトがSNSというメディアによって増幅され、炎はより大きな火柱へと変わっていった。
寺坂農園はさらなる対応に追われた。警察の捜査も依然続く中、農園の夜間の見廻りに加えて、多数のメディアから取材の申し込みが殺到した。折しも北海道の農業にとっては最も繁忙期となる夏の収穫期だった。6,600玉のメロンが全滅の被害にあったとはいえ、他のメロン畑の収穫もピークを迎えており、次にはトウモロコシの収穫も控えていた。
農業をする以上、いかなる状況でも農作業の手を止めることは絶対にできない。
8月5日、農園の代表として寺坂さんは再び投稿した。
『メロンが収穫できるありがたさを、しみじみと噛みしめながら。
今朝はメロンの収穫日でした』
こんな言葉から始まる投稿は、想定外の事態で今季のメロン販売受付が例年より早く終了したこと、現在の農園の状況や顧客への対応に関する説明の後、数多く寄せられた激励の言葉に対し「ここ3日間、はずかしいけど社内で何度、泣いたかわかりません」と感謝のコメントが書き込まれた。また、メディアに対しては、通常業務に支障が出ていることに加え、捜査への影響や富良野ブランドへの風評被害を防ぐため報道や取材を一切お断りする、とのコメントを添えた。
8月3日の投稿とは変わり、農園の経営者として事態の収拾に努めようとした、冷静さを感じさせるメッセージだった。それ以降、寺坂さんや寺坂農園のSNSから事件被害に関する直接的な内容の投稿は一切無くなった。
理由があった。報道の反響が、普段の日常生活まで影響し始めたからだった。
「人に会えば除草剤の話。気分転換でたまに外食に行っても、お店の人や周囲に「あっ!」って顔をされ、気分もシュ~ンとしてしまう。「大丈夫?」「頑張って!」と応援の声もあるけど、その好意が辛い」
農業という仕事ゆえに、農地がある土地には生活の根も下ろす。必然的に地域の中で生まれる人間関係は避けられないものとなる。何世代にも渡る人間関係の濃密さ、各家庭同士の付き合いの深さは都会生活の比ではない。その中で自分が的になる噂話は止めようもなかった。気分転換や生活する上での必要な外出さえ気軽に行けない。その影響が及んだのは、寺坂さんだけではなかった。
「犯罪被害は農園全体なんです。ウチには社員の他、3か月間だけのパートさん達もいます。そんな人たちも、例えば地元のPTAの会合なんかに出ると「大変でしょう?」「犯人は○○なんでしょう?」なんて言われて、ゴシップのネタを探られてしまうんです。
私以外も悪評が耳に入ったり、みんながゴシップ探しに嫌な思いをする。それも辛かった」
繁忙期となる収穫期には、寺坂農園には30人ほどのスタッフが集まり、収穫や通販の発送作業に汗を流す。今年はそれに加えて除草剤で枯れてしまったメロンの廃棄作業、防犯のための夜間の警備の見回りなど、農園スタッフの心身にも大きな負担が掛かっていた。
また、顧客とやり取りする通販業務にもしわ寄せが及んだ。全滅してしまったメロンが受けていた予約注文のキャンセル願いの連絡、前払い金の返金手続きや振込、処理の作業など、膨大な数の対応業務を行う必要があった。受注担当スタッフが1か月に掛け続けた電話は1,000件を超えた。
「事件後の対応した1か月間は、正直言うと事務所にいたくなかった。事情を説明して 注文のキャンセルをお願いすると、ほとんどの方は応援してくれるけど一部には怒る人もいて。そんなの、おかしいじゃないか!って」
全ての顧客が理解してくれる訳ではない。長年の経験から分かっていたことだとはいえ、懸命に対応している時ほど、そうした顧客の声がひどく堪えてしまう。それでも社内では社員が中心となって業務フローを考え、メールやFAX、手紙などあらゆる手段で連絡の連絡の取れない顧客にも対応してくれた。
「膨大な数のキャンセル対応とお詫び電話、いったいどうしよう……」始めた当初はそう頭を抱えた事態だったが、現場スタッフの懸命な努力で9月初旬には全ての顧客対応を完了させてくれた。そんなスタッフ全員の頑張りに感謝していただけに、その彼らもゴシップの的にされてしまうことは、余計に胸が痛んだ。
ゴシップを嗅ぎまわる人間は、目の前にも表れた。
「11月からは講演依頼も受けることが出来るようになりましたが、『事件には触れないでくださいね!』と事前にお断りしても二人ぐらいは必ず聞いてくる。『犯人、〇〇でしょう?』なんてニヤニヤしながら好奇心剥き出しでしつこく話してきて。講演会で接するのはいい人がほとんどだけど、心無い一人、二人のために「来るんじゃなかった……」という気分になってしまう」
不特定多数の人間が蠢くインターネット上では、さらに遠慮無い標的とされた。
『売れている通販はブラック企業だ』というコメントともに、寺坂農園の内部犯行説や自作自演説を悪評を興味本位で書き立てるブログ、単にアフィリエイトとして自分のSNSの反応率を上げることが狙いの投稿も増え、中には『農協を抜けたんだから自業自得、これぐらいされても当たり前』という主旨で書かれた匿名の投稿も表れた。
「確かに農協は4年前に抜けたけど、私は表立って公表はしてきませんでした。だって富良野地域のイメージが悪くなるじゃないですか。誰かが勝手に言った悪評ネット上に書かれて、広まってしまったんです」
農協を抜けたのは、農園を法人化し自立した経営を目指す上での判断だった。だが、寺坂農園のメロンの直販も富良野地域のブランドイメージがあってこそ成り立つ。その地域との関わりは寺坂さんが最も大切に考え、長年の間、心を砕いて接してきたことだった。農協側の人間とも友好的なまま関係のまま脱退し、それ以降も組合員外の立場ながら肥料や農業資材、燃料の供給などでやり取りする関係は依然として続いている。
様々な憶測や噂、ねつ造された情報が飛び交い、それによって農園の社員やパートのスタッフ、その家族までもが「事件被害者」というレッテルを貼られて心労をかけてしまう。そのことが、寺坂さんを心理的に最も追い込んだ要因だった。
だが、一方で、これまで積み重ねた判断や道のりを否定する気持ちも無かった。
「自分を責めるとしたら、3回の換気装置の悪戯を操作ミスだと思い込んでいたこと。まさかこんな事を誰も意図的にやらないだろうって、性善説で考えてしまったことですね。でもそれ以外のこと、農協を抜けたから、農業で儲けていたからこんな事になった、なんて少しも思わない。誰にも迷惑をかけていない。自分の人生を充実させようと日々を送っているだけだから」
これまでも、噂の的になる日々は度々あった。特に米作をやめたことは富良野の地域社会を形成する集団営農から抜けることでもあった。そのことに「自分のことしか考えていない」「金儲けしか頭にない」「自業自得だ」という批判を直接ぶつけられたこともある。
だが自分の信じる道イコール直販農家の方針だけは、変えずに貫いてきた。
また、事件直後や事件対応に一緒に向き合ってくれた社員・パートスタッフ全員が心の支えでもあった。
「社員達は社長である私を心配してくれました。矢面に立っている姿を見て『社長、大丈夫ですか?』『休んでください』って言ってくれて、支えようとしてくれました」
除草剤散布の被害にあった7月から対応に追われた8月いっぱいまでの間、社内は不安とストレスの募る日々が続いた。だがそんな中でも、その事を理由に退職を申し出た社員やスタッフは一人もいなかった。
10月8日、寺坂さんはある農園内のシーンをSNSに投稿した。
『「社長、いつ流しそうめんやるんですか?」「社長、今年は流しそうめんどうするんです?」
「や、やるよっ、やるにきまってるべさーっ」今年は夏から、社員さん・スタッフさんとこの会話を何回繰り返した事だろうか…(^_^;) 寒くなってきたけど…やりましたよっ!
9/22ぽかぽかの暖かい日を狙って急遽開催!寺坂農園恒例の流しそうめんパーティー』
トウモロコシの収穫・出荷を終え、ひと段落した寺坂農園内でのランチタイム。
そうめんを流す長い竹筒を囲んで、時にはミニトマト、カニかま、ちくわキュウリ、うずらの卵なども流れてくる。ユニークな流しそうめんを楽しんでいるスタッフ達の笑顔が印象的な記事だ。
「いつも8月ごろになると、この地域では焼き肉パーティーなんかを良くやるんです。暑い時期の農作業を乗り切る張り合いにね。あとは社員全員で登山もする。
でも今年は一切できなかった。事件発生直後の7月は精神的にガックリきて、8月3日以降の公表後は、対応にてんやわんやの日々。流しそうめんも6日前までは自分も気分的に落ちていたからやろうと思ってなかったけど、社員から「やらないんですか?」で聞かれて。いつまでもグジグジしても仕方ない、夏の楽しみの恒例行事も無かったし、じゃあ、やるか!そう思って、やったんです」
社員たちの声で開催された季節外れの流しそうめんは、世間でどう騒がれようとも自分たちのいつもの日常を取り戻そうとする、寺坂農園の力強さの象徴だった。
社外でも、力になってくれる心強い協力者がいた。
「銀行さんもすぐに支援してくれました。『これは突発的な案件だから、できることがあったら、どんどん声を掛けてください!』って言ってくれて。他の取引先もお見舞いの品を持ってきてくれました」
中には、予想外の支援を申し出る支援者もいた。
「ある農業資材の会社さんは『今期は支払い、結構ですから。来期でいいです。分割もOKですから』なんて言ってくれたんです。ありえないよね!!? 来期の支払いで、分割でも良いからなんて。普通、逆だよ! でも『大丈夫ですから!』って。もう信じられないよ」
また、そんな状況の中で寺坂さんには一つだけ不思議に思うことがあった。
「親友だと思っていた人たちは無反応。全く連絡が無くて、あれっ!? と思っていたくらい何も言ってこなかった。しばらくしてから、自分から連絡を取り始めて、
『話を聞いてほしいから会おう』『これから飲みに行こう』って誘ってみると、『そう言ってくれるのをずっと待っていたよ。』と。大変だろうからと、あえてそっとして置いてくれたんです。それが分かって、もう涙が出るほど、その優しさが嬉しかった。今回のことで、私は本当の親友が誰か分かった。それがとでも良かったです」
想像を絶する悪質な犯罪や、予想を超えた世間の反響。
2017年の夏、寺坂農園はこれまで経験したことのない騒動の渦中にいた。
だが、どんな状況下であろうとも決して崩れないものがある事も、はっきりと分かった。
これまでの歩みが、確かな信頼や絆として寺坂農園を支えようとしていた。
無言で見守ってくれる優しさが、自分の周囲に存在していることを知った。
それが、自らを「引きこもり」と言うまでに追い込まれていた、寺坂さんの心を救った。
そして信頼や絆、無言の優しさが、この後、甚大な被害を被った寺坂農園の経営状況すらも一変させる、大きな力へと変わっていった。
第4章 一本の糸 につづく
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北海道・富良野からおいしいメロン・野菜を全国にお届けし、お客様に「おいしいっ」と喜んでほしい』を理念と据え、産地直送に取り組む農業を続けています。