富良野・開拓で入植した寺坂家3代の集合写真。
おそらく大正10年前後かと…90年前!!
寺坂祐一です。
お盆もすぎましたね~。昨日の富良野開拓の話に続いて、寺坂家の開拓のお話。
その頃の写真は、これ1枚だけしか、残っていません。
気合い入れて、着物着て撮影したんでしょうね。
開拓で富山から富良野原野・湿地帯の今の寺坂農園を切り開いたのが、
真ん中のおじいさん。寺坂政吉。その妻 そよ。
2代目が最後列真ん中の寺坂豊治郎。妻 のつヱ。
一番赤ちゃんなのが、私の祖父。3代目 寺坂勇吉です(平成6年に死去)。
初めてこの写真を見たのは20代前半頃。本家の寺坂家にこの写真はなく、
祖父の兄弟が所有していたみたいです。寺坂家3代目はたしか6人兄弟のうち、
末っ子である私の祖父が跡継ぎとなりました。普通、長男が後継ぎますが…
なぜか?
戦争があったからです。上の兄弟は皆、
戦争に行き、小さくて体の弱かった祖父は戦争に行かず、
農家をしていた。そして、そのまま寺坂家を引き継いだみたいです。
戦争がなかったら、私、5代目の後継ぐこともなく、メロン農家していなかったんですね(-_-)
きっと、旭川や札幌で他の仕事をしていたんでしょうね・・・
若い頃この写真を見たとき感じたのは
「わっ、ま・貧しすぎる…。すんげービンボーじゃんっ」
正直、かっこわるく感じました。若くてなにも知らなかったからです。
ご先祖様、ごめんなさいっ(>_<)
今見て感じるのは、すごく大変だったんだろうな、と。
よく、沼地のようなこの原野を開拓したな、と、魂の強さを感じます。
ほったて小屋、ヨシをふいた屋根。板を張っただけの壁。
冬は-30度にもなるんですよ。凍死しますよ!
冬食べるもの、動物性タンパク質なんか、全くないですよね。
灯油もない、電気もない、子供だけいっぱいいる…
この写真一枚で、いろんな感情がわいてきます。
2代目は両親とも早くに亡くなったみたいで、
3代目の祖父はすごく苦労したみたいです(>_<)
5代目、しっかりと引き継がせてもらいましたよっ!p(^ ^)q
1代目~3代目さんが天国から見ても
、恥ずかしくない農業を続けていきたいです。
もっともっと多くの幸せを生み出す、エネルギーあふれる農園にしていきます。
以上、お盆っぽいお話でした(^_-)
北海道・富良野からおいしいメロン・野菜を全国にお届けし、お客様に「おいしいっ」と喜んでほしい』を理念と据え、産地直送に取り組む農業を続けています。