「何をきっかけに、メロンを栽培するになったんですか?」

講演先や視察受入の時に、よく聞かれる質問です。

27年前の18才の時。
私は地元農業高校を卒業して、そのままその富良野農業高校の『農業特別専攻課』に再度入学。

18~19才の2年間は、農業の繁忙期を除く年間60日ほど通学し授業を受け、農業を学びながら家業の農業に従事していました。

当時はバブル経済!
私が農業高校卒業した1991年はバブル崩壊直後で、まだまだ経済は好調♪

農業は、儲からない3K仕事と言われていて、農業後継者が極端に少ない時代でした…。うちの周囲の農家も兼業農家ばかり。当時は小さな農家ばかりで専業農家って少なかったのです。

本当の篤農家、しか、後継者がいない状況…。と、言っても過言ではありません。

また、景気もよく、就職率もすごくよかった。人不足の時代でした。たしか、お立ち台とかジュリアナ東京とか流行っていたよーな…(遠い目)。

この1991年に、農業後継者として富良野地域全域で農業特別専攻課に入学したのは、たしか13人。

聞くとみんな、親が立派な農業経営をしていて、その後継者として誇りを持っているようでした。

18才のペーペーな私は、農業の世界、富良野地域の農業全体など分かるはずも無く、自分のところの農家がどんな経営をしているかも知らなかったのです。

だって、農業を継いだ理由は「親に騙されたから」(笑)。

高校卒業を控えた夏、父曰く
「農業っていいぞー。儲かるぞー。雨の日は休みだし、すごくいい仕事だぞー」

「世の中、そんなに甘いはずが無いけど…」
高校生ながらも父の言葉に疑問を感じたまま、まぁ、幼少期から『農業後継者』として育てられ洗脳されているので、農家の後を継ぐことは普通であり必然。

したっけ…。
経営状態は最悪だったんです。農業特別専攻課で農業簿記を学び、同級生や先輩の農業経営を見て学ぶほどに

「うちの農家はヤバい…」
という現状を理解し始めて、焦りを募らせていたのを覚えています…。

栽培品目は、米、大豆、アスパラ、ニンジンのみで耕作面積は4.5ha。売上げはたったの600万。所得はほぼ0円。いや借入金を返済するとマイナスだ。そんな零細農家だったのです…

で、農業を継ぐのを進めまくった父は、水道会社に勤務。小さな農家なので収入が追いつかず、父は会社に勤めて一家を支えていたのでした。

農業をやっていたのは、じいちゃんと母。
そう、僕はじいちゃんの後継者として農業に入ったのです。珍しい1世代飛ばし。

これが、なかなか、大変だった…。
農業を本格的に“親が教えてくれない”のである。父は会社勤務なので農業知識が少ない。

じいちゃんの農業技術は、昭和中期レベル(汗)。肥料をまくにしても「こんなもんだ」というアバウトぶり!施肥計算しないのかよーっ

だから僕は親から学べない分、農業特別専攻課で必死に勉強した。

それでも農業経済は大赤字。1年目にして愕然としたのを覚えている。「自分、終わったな…」その年の秋、本気で思っていたなぁ…。

そんな我が家の農業経営を見て、農業特別専攻課の担任の先生となったのが榎本清作先生。(現在は72才で退職されています)

榎本先生が、うちの経営を調べて「こいつはヤバいなぁ…」と、思ったらしいです(笑)。

当時13人いた同級生の中でも、ど底辺の経営だったので。どうやってご飯食べるの?という経営レベルでした。さらに多額の借金も発覚しました(笑)コラコラ…

そこで榎本先生は
「寺坂君、メロンを作ってみないか?今の経営だと高収益作物の導入が必要だと思うよ」

当時はまだ景気がよかったので、メロン栽培は伸び盛り。富良野地域でも生産面積が増え始めている頃でもあったので、そう声を掛けてくれたのです。

「メロン、おもしろそう!自分が美味しいメロンを育てられたら、おもしろいな」

そう思って決断。榎本先生の指導を受けながら50m1棟でメロン栽培をしたのがスタートです。

↑今思うとこの時、難易度の高いメロン栽培にビビりながらも、悩みながらも自分は『チャンスの女神の前髪』を掴んだ瞬間なんだなって、振り返ってみるとわかる。

『この時、時代が動いた』っていう瞬間だ。

そんで、その就農一年目の1991年は、メロン栽培に恵まれた天気に。ビギナーズラックか?甘くて大きいメロンを収穫することが出来ました(^^)うれしかったなぁ。

その次の年は雨が多い年で、甘くないメロンを育てひどい目にあいましたが…(^_^;) 

それから年を追うごとに、すこしずつ生産面積を広げていき、たーくさんの経験(=失敗)を積み重ねて栽培技術を高め、26才結婚を契機に直販を開始し、現在に至るわけです。

【人生は人との出会いで変わる】

↑本当でした。18歳の時に榎本先生と出会い、メロン栽培のチャンスをくれなかったらと思うと…。今はどうなっていたのだろうか。

今の仲間(社員)と出会ってなかったかもしれない。
無理な規模拡大に走り借金まみれの農家だったかもしれない。
いや、農業に絶望して離農していた可能性も高い。うん、この可能性は高い。

私は、榎本先生との出会いによってメロン栽培を始め、メロンを育て収穫までこぎつく難しい仕事を通じて「農業の面白さ」を知ったのです。

だからその後、何度も壁にぶち当たっても、その困難も乗り越えて、今までメロンを作り続けることができたのです。

その感謝の気持ちをつたえたい!
ご存命ならご自宅に伺って、26年ぶりに近況報告をするとともに感謝の気持ちを伝えに行きたい!

いやぁ…でもね。
26年もご無沙汰していて、しかも年賀状もやめているので…。なかなか会いに行く決断が出来なかった、チキンな私。

除草剤事件を乗り越え、今年のメロンも豊作で乗り切った今、決断しました!

でも、榎本先生は1年間の関わりですぐに転勤され、その後私の方からご無沙汰しているので、今どこに住んでいてどうしているかも分からない。

どうしよう…、僕が18歳の時にすでに定年前ぐらいの年齢だったから、年齢的にもお元気にしているかなぁ。

同級生や人づてに榎本先生の今を調べたところ、ご存命とのこと!!電話番号もゲット!

8月末。心臓ドッキンドッキンさせながら榎本先生に電話しましたよ。なんか、女の子に告白の電話を掛けるみたいだった、それぐらいドキドキした。

忘れられてたら、どうしよう…。今頃電話して、冷たく対応されたら立ち直れないなぁ…。なんてネガティブに妄想広げながら。

電話に出た榎本先生はお元気で
「おぉ~!!寺坂君。おぼえてるよー。メロン栽培を始めた子だね。話はいろんなところから聞いてるよ~」

やたっ!覚えてくれていた!!
連絡くれたことにも喜んでもらえました(^^) で、早速、お会いしに行く約束を取り付けました。

そんで2週間前のトウモロコシ収穫開始前に行ってきました(^^)
今年最後に収穫したメロン オルフェメロンを2玉持ってご挨拶に伺いました。

車で4時間、道中、お会いするまでドキドキしましたが、会えてよかったー。うれしかったです!涙が出たよ。

寺坂君、噂には聞いていたよ。すごく頑張っているらしいねー!」

小1時間ほど、色々お話しできて胸が熱くなる時間を過ごさせて頂きました。

記念に動画も撮影しYouTubuにアップする許可もいただきました<(_ _)>

榎本先生、本当にありがとうございます!心から感謝しています。

恩師の先生、榎本先生と再会し、感謝の気持ちを伝えることが出来た!というお話でした。

今日もトウモロコシの発送、やりまくっています。
では今日も農業を通じて、自分と自分の周囲の人が、より一層幸せになるよう、自分の能力を発揮します!

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寺坂祐一

北海道・富良野からおいしいメロン・野菜を全国にお届けし、お客様に「おいしいっ」と喜んでほしい』を理念と据え、産地直送に取り組む農業を続けています。